大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

神戸地方裁判所 昭和58年(ワ)282号 判決

原告

松森正顕

ほか一名

被告

富士火災海上保険株式会社

主文

一  被告は原告松森正顕に対し金三〇一万一、三七〇円とこれに対する昭和五八年二月一〇日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告は原告(株)マツモリに対し金三万八、四〇〇円とこれに対する年六分の割合による金員を支払え。

三  訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  主文同旨

2  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告松森正顕は前記同人送達場所において松森病院を開院し本件はその代表者院長医師としての請求であるが、右原告松森(以下原告病院という)は一般診療と同時に救急病院の告示を行い、主に神戸市北区内で発生した交通事故等で受傷し運ばれてきた患者の救急医療にもたずさわつている。

原告株式会社マツモリ(以下原告会社という)は薬局エンゼル・フアーマシーを経営し、同薬局は薬剤師を配置し医師の処方箋等に基いて患者に薬剤の調合販売を行つている。

2  交通事故

訴外竹内かずおこと武内和男は昭和五七年九月二七日午後九時五分頃乗用自動車を運転中神戸市北区星和台三丁目一番地先市道長田箕谷線交差点附近において自動車の追突事故を起し、被害車両にあつた須藤修敏、岡村安夫、羽坂明の三名は受傷したとして原告病院へその治療のため運び込まれ、右加害車両運転手武内和男は原告病院に対し治療費については同武内が自動車事故任意対人保険に加入している被告と話合うよう求めた。

3  治療費の債務引受

被告会社系列の富士損害調査株式会社神戸支店損害査定課アジヤスター島田豊三は、同月二九日原告病院において被告を代表して原告病院事故渉外担当事務員山口信晴に対し、前記交通事故で受傷した右患者須藤、同岡村、同羽坂の三名について、原告病院及原告会社に生ずる診療費薬剤費など治療費のすべてを被告が負担するから、原告らにおいて安心して右患者の治療投薬に専念するよう申入れ、その具体的請求手続は被告会社で原告病院関係の事務を担当する座光寺社員に申出るように指示をした。

4  治療費債権の発生

原告病院における次の患者が症状固定するまでかかつた治療費は

(一) 患者岡村安夫

病名 頸椎捻挫、頭部腰背部打撲。

入院 昭和五七年九月二七日から同年一一月三〇日まで。

通院 同年一二月一日から昭和五八年一月六日まで(実治療日数二八日)。

治療費 金一七五万四、五九〇円

(二) 患者羽坂明

病名 頸椎捻挫、頭部胸部腰背部打撲。

入院 昭和五七年九月二七日から同年一一月二五日まで。

通院 同年一一月二六日から昭和五八年一月五日まで(実治療日数一九日)。

治療費 金一五三万一、三七〇円

以上合計金三二八万五、九六〇円である。

5  投薬代金債権の発生

原告病院の事務を代行する原告病院山口事務員の指示によつて発生した原告会社の薬剤調合販売代金は、患者羽坂明につき、前記通院期間中の投薬代金三万八、四〇〇円である。

6  被告の責任

(一) 債務引受(主位的主張)

原告病院は一般的に入院患者を受付ける際は、治療費並原告病院患者に投薬するエンゼル・フアーマシーの代金債権の履行を確保するために、患者に対し入院保証金と健康保険証書の差入交付を求め、未加入者に対しては健康保険加入手続や生活保護手続の事務を代行したりしている。しかし、交通事故の際は多くは緊急を要ししかも患者が重傷で治療費の支払確保を講ずるいと間がない場合が多く、原告病院のような救急施設に運ばれる患者については、その制度の主旨を尊重する被告会社のような大手保険会社は、原告病院担当社員を配置して事故発生と同時に保険契約者の申告をまつてアジヤスターの判断を求め、その判断に基いて被告らは原告病院らに対し治療費の債務引受を申出る場合が多く、それが救急病院の円滑な運営に役立つているし、被告のそういう態度は保険契約者にも好評で従つて営業目的にも沿つているのであり、本件もその例外ではない。

(二) 損害賠償(予備的主張)

原告病院は、被告が島田アジヤスターを介して前記患者の治療費支払の債務引受をしてくれたので、当該患者に対し治療費等の債権の履行確保に関し全く前記手続を講ずることなくその患者三名の入院治療に専念し、患者らが軽快退院後は、通院治療とエンゼル・フアーマシーによる投薬を行い、昭和五八年一月七日までにいずれも症状固定した。その間、原告病院は被告会社座光寺社員に毎月診療費明細書を提出してきたのであるが、被告はその間原告らに対し一度も前記治療費等の債務引受を撤回するとか、あるいはその虞れがある事由が発生したとか通告することなく、そのため原告らに全く治療費等債権の履行確保に関する手続を講ずる機会を与えないまゝ、患者らは症状固定と共にいずれも警察に逮捕されあるいは行先不明になつた。その後の調査では患者らはいずれも無資力で原告らに対する治療費の支払能力がないようである。

7  一部支払受領分

4の治療費のうち(一)の患者岡村安夫分については内金二七万四、五九〇円の支払を受けた。

8  よつて、原告らは被告に対し、原告病院は催告後民事一般の年五分、原告会社は催告後商事利率による年六分の、それぞれ支払済までの遅延損害金の請求を付加して前記申立に及んだ次第である。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1項の事実は認める。

2  同2項のうち、追突の事実は認めるが、これは保険金詐取を目的とする作為的なものである。傷害発生の事実は否認する。

3  同3項の、被告が治療費及び投薬料の債務引受の意思表示をなしたことは認める。

4  同4項、5項の治療行為、投薬の事実は不知。病名欄の傷害発生の事実は否認する。

治療費額については、その額の相当性を否認する。

5  同6項は争う。

三  抗弁

1  本件交通事故は、自動車保険契約者武内和夫が、須藤修敏、岡村安夫、羽坂明と共謀の上発生せしめたもので、商法第六四一条、及びこれの注意規定である自動車保険普通保険約款第一章賠償責任条項第七条一項一号で、被告は保険金の支払義務がない。

2  右武内加入の自動車保険対人賠償については、原因となる交通事故が偶発的な場合にのみ保険金の支払いがなされ、作為的事故については、保険金の支払いがなされないことは、公知の事実であつて、原告等もこれを知り、又は得べき立場である。

従つて、被告会社の治療費等の債務引受は、交通事故が偶然的事故であることを条件とする債務引受であり、原告等はこの条件を知り、又は知り得べき立場である。

ところで、本件交通事故は、作為的事故であり偶発事故でなかつたのであるから、右条件からして、被告の債務引受は無効である。

3  被告の債務引受は、本件事故が偶発事故と信じて、なしたものであるところ、作為事故であつたので、債務引受の重要なる要素に錯誤があつたので、無効である。

四  抗弁に対する認否

争う。

第三証拠

本件記録中の証拠目録記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一  請求原因1項の事実は当事者間に争いがない。

二  同2項のうち、追突の事実は当事者間に争いがない。

三  同3項の、被告が治療費及び投薬料の債務引受の意思表示をなしたことは当事者間に争いがない。

四  甲第五、第六号証の各一ないし一〇、第七号証、第九号証の一ないし一二、第一〇号証の一ないし九、第一四、第一五号証、第一七号証の一ないし三、証人山口信晴の証言によれば請求原因4項、5項の事実をすべて認めることができる。

なお治療費額については、証人山口信晴の証言によれば、原告病院は、当初一点単価を二五円として計算のうえ被告に請求していたところ、入院料だけは一点単価を二〇円にしてほしい旨被告から申入れがあつてこれに応じ、さらにその後、一つの事故で被害者が三人もいて、診療費が総額的に高くなるから、その余の分についても一点単価を二〇円にして請求してもらえれば支払もスムーズにいく旨被告から再度の申入れがあつてこれにも応じたところ、そのうち本件事故が保険金詐取を目的とするものであることが明らかになつたため被告はその支払をせずして現在に至つていることが認められ、かかる経緯からすれば一点単価を二〇円として計算のうえ治療費額を算出するのが相当であると考えられる。

たとえ原告病院が保険指定医の指定を受けていたとしても、かかる特別の事情が認められる以上、一点単価を一〇円として計算するのが妥当であるとは考えられない。

五  請求原因7項の事実は被告の明らかに争わないところであるから、これを自白したものとみなす。

六  次に被告の抗弁について判断するに、本件事故が保険契約者である竹内和男と、須藤修敏、岡村安夫、羽坂明の共謀による保険金詐取を目的とするものであつたことは、証人宇治由基夫の証言によつて認められ、かゝる場合、被告が同人らに対して保険金の支払を免れうることは乙第一号証によつて明らかであるが、これは保険約款に定めのある当事者間での問題であつて、そのことから直ちに原告らの請求についても被告が免責されることにはならない。

また、被告のなした本件債務引受が、交通事故が偶発事故であることを条件としていたことを認めるに足る証拠はなく、また交通事故が偶発的な場合にのみ保険金の支払がなされ、作為的事故について保険金の支払がなされないことは、公知の事実とまでは認め難いものの、このことを原告らが知つていたことは、前記争いのない原告らの地位から十分推認できるところであるけれども(この点に関する証人山口信晴の証言は措信できない)、それだからといつて直ちに、右債務引受にこのような条件が付いているものということができないことは明らかである。

さらに、被告のなした本件債務引受が、本件事故を偶発事故と信じてなしたものであることは、証人宇治由基夫の証言及び弁論の全趣旨から認められるものの、被告が本件債務引受に際して本件事故が偶発事故であることを条件とする旨を原告らに明示することは容易であり、現に、被告が被害者の治療費を支払う旨の保証書を病院に差入れるような際には、保険金詐欺の場合には支払をしない旨の条項を入れることも事案によつてはありうることが証人宇治由基夫の証言によつて認められるから、かゝる条件を原告らに明示することなしに本件債務引受をした以上は、たとえ原告においてかゝる錯誤がなかつたならば債務引受をしないであろうと考えられるにしても、これを債務引受の重要な要素とすることが社会通念上相当とまでは認められないから、本件債務引受が要素に錯誤があるものとして無効であるということはできない。

よつて被告の抗弁はいずれも失当である。

七  よつて本訴請求はいずれも理由があるからこれを認容し、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

なお仮執行宣言の申立については相当でないからこれを却下する。

(裁判官 寺田幸雄)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例